私なんか生まれてこなければよかった
ある時、とある女性からいわれたとても重たい一言が頭に焼き付いています。どこまで苦しんでどこまで辛くもがいてきたのか。わたしはそれを理解しようと努力しましたがそれは本人にしかわからないことであると思います。
そんな一言をあなたも打ち明けられたことはないでしょうか。そんな言葉が口から出てくる人はかなり精神的に追いつめられている状態だと思います。
鬱だったり、先天性の精神疾患だったり、様々なケースが考えられます。わたしにそれを打ち明けた女性は幼少期に親から虐待を受け、大人になってからも引きずっていました。精神科では病名がはっきりと出てくる精神病であると診断されたのでした。
人はなぜ生まれたのかを
真剣に考えさせられた実話があった
私はその女性からの死にたいという告白を機に、どうして人が生まれたのかについて考えるきっかけとなりました。
この話には長いリアルストーリーがありますが、その話はまた後日機会があればお伝えするとして、今回はタイトルの通り、私達はなぜ生まれてきたのかについて私の考えをお話していきます。
私はこの永久的な問いに対して、ちゃんと答えを導き出しました。私が考える答えと同じ答えを導き出している人もいると思います。
私達が生まれた理由
それは人間の本能が生み出した自然
なぜ生まれたのかという、問いの答えの前にまず、私たちが生まれてきた経緯についてお話します。
私達は生物学的に、種の存続をかけ自然体として生まれてきました。それは人間の本能です。もちろん子供がかわいいからほしいとか、生理現象としてSEXが行われた結果子供ができたなど、人が生まれるに至るプロセスがあってのことですが、すべては人の本能から気韻するものであり、人は自然に生み出されたものであると考えています。
人生は生まれた瞬間から動き出し
生きていけば環境も変化する
そんなプロセスで生まれてきた人は、生まれた環境によって良くも悪くも左右されていきます。金持ちの家庭に生まれたとか、貧しい家庭に生まれたとか、与えられた環境によって幸せか不幸かみたいな境遇を生み出すのです。
しかし、金持ちの家庭に生まれたからといって、必ずしも幸せな人生になるとは限りません。貧しい家庭で育った人でも、すばらしい人生を送っている人は山ほどいます。つまり環境は人の人生を左右するけど、生きていけば環境も変わるし、自ら変えることもできるものなのです。
生まれてきた人はどんな人生でも
最後には必ず最後を迎える
すべての人は生まれてきて、そして最後には死を迎えます。人生の途中経過が幸せであっても、不幸であったとしても。その結末は死んで幕を閉じるのです。
なぜ生まれてきたのかの問いに対して「死ぬため」に生まれてきたという答えは違います。死ぬことは結末の姿であり、死ぬことを目的として人間をはじめすべての生き物たちが生まれてきたわけではありません。では何の目的で生まれてきたのでしょうか。
この世に私達が生まれてきた目的
人生山あり谷ありという有名な言葉があります。人が生まれてきてから死ぬまでの過程で、大変なことの連続ですよ、という意味を表す言葉です。
では大変な思いをするために生まれてきたのでしょうか。その答えもわたしは違うと思います。では幸せになるために?それとも不幸になるために?いや、人生を楽しむために…?
人によって生まれてきた目的として楽しむためや苦しむためという答え出す人もいるかもしれませんがそれらは人生の点にしかすぎません。
生まれてこなければよかったと
苦しんでいた女性の壮絶な記憶
冒頭ででてきた幼少期に虐待を受けた女性は事細かく、母親から受けた虐待の内容を繰り返しわたしに話しました。
「手が汚れなければあんたなんか殺してやる」
包丁を片手に小さな子供を柱にくくりつけて、そんな言葉を投げつけた。突然人格が変わり鬼のようになる母親。実際にそんなことがあったのかどうかは確かめるすべはないのですが。
その母親も精神的な疾患をかかえており、穏やかなときと鬼のように激しいときが交互に現れる二重人格のような人だったといいます。
成人してもなお、そんな苦しみに苛まれて生きている人もいます。私が経験したことのない壮絶な出来事でその苦しみを理解してあげることが私には出来ませんでした。
彼女は何のために生まれてきたのだろう
生まれてこなければよかったというその女性の訴えは壮絶な子供の頃の話を聞いてから頭では理解できるようになりましたが、その女性がわたしに尋ねた質問をよく覚えています。
「何のために生まれてきたの?私は… 」
その女性の精神的な病状や人格の変わり方、ふつうでは考えられない数々の行動。そんな彼女の姿を目の当たりにして、何とかしてあげたいと思っていた私は、多くの医学書を読み、病気のこと、その対応方法を調べ多くの知識を得ていました。
そして私は冷静に答えました。
「君は生きるために生まれてきたんだ」
この答えはその精神的に病んでいた女性に投げかける言葉として正しかったかどうかはわかりません。
私はその質問に対してすべての人にあてはめて答えられるたった一つの答えを返したのでした。
生きるために生まれてた
私たちが生まれてきた目的は「生きるため」と私は必ず答えています。どんなに幸せでもどんなに不幸でも生きているから、ということの上で成り立っています。それ以上でもそれ以下でもない。それが私が出した答えでした。
生きるからには楽しく生きたいですね
生きているから歌うんだ、という歌がありました。
生きているから何かが起こります。生きているから楽しいことも悲しいこともあるのです。死んでしまったらすべてが終わりです。どんなに莫大な遺産を残したとしてもどんなに偉大な歴史を残したとしても人生は終わりなのです。
💡みんな生きるために生まれた
この話はノンフィクションですが、過去の記憶のため、若干脚色があるかもしれません。
いかがだったでしょうか。もしも人生について、生死について誰かと語り合うことがあったとき、この記事が参考になれば幸いです。