South East Asia

[第一話]突然のミャンマークーデターに直面した瞬間。それでも僕らは生きていく

[第一話]突然のミャンマークーデターに直面した瞬間。それでも僕らは生きていく

まさか人生のうちにこんな出来事を
自分が体験するとは想像もしなかった

このストーリーは作り話でも何でもない。平和な国日本で育った私はこんな衝撃的な事が起こるなんて微塵も想像もしていませんでした。1000人以上の多くの人々が銃弾に倒れました。また拘束・拷問に耐えきれず命を落とした人達もいます。そしてその衝撃の事件「ミャンマークーデター2021」は現時点で現在進行形なのです。

『人の人生なんて、国の都合からみたら本当に小さくて無力なものだ。』

ちょうど10年ほど前の2011年頃から長年の軍事政権に終止符が打たれ民主化を果たしたミャンマーで2021年2月1日に起こった話。細かい歴史の話は歴史解説本に任せるとして、私が現地で直面した体験を話していこうと思います。

まずはクーデターが起こる前のミャンマーがどの様な国であったか、私が何をしてきたか、私の目線で話していきましょう。

2013年にミャンマーに来た頃

私は2013年頃から頻繁に東南アジアの国ミャンマーに出入りし半分暮らしながら仕事をしたり、現地の空気感を楽しみながら過ごしていました。軍政から解き放たれた後のミャンマーの街は活気づいており、外国からの観光客でも賑わっていました。

東南アジアの国の中ではミャンマーはまだまだ貧しい国で所得も低いのです。どのくらい貧しいのか。最初にヤンゴン国際空港に降り立った時、すぐにこの国がどんなものかが第一印象として入ってきたのです。

「すごい熱気だ… そして田舎だ… 」

(ヤンゴン国際空港旧ターミナル)

この人で溢れかえった雑多な雰囲気。そして、降り立った瞬間ムワっとした蒸し暑く湿気の高い空気。ローカルの人達の服装もまだまだ民族衣装といわれているロンジーばかりが目立っていました。

私はここに降り立った瞬間すでにミャンマーに魅了されていました。この空気感の中にいるだけでなにもしてないのにワクワクが止まらない。楽しいのだ。現在9年目になったのでもうなれてしまっているが、当時のことを思い出すと熱いものがいまでもこみ上げてきます。

(ヤンゴン市街地)

この言い表すことが難しい雰囲気は夜になっても続いていきます。夜も繁華街は酒を飲む人で溢れ、露天商は道のあらゆるところに屋台を出し食べ物を売ったり、フルーツを売ったりと忙しく動いています。決して広くない面積のヤンゴン都市部には人がひしめき合っていたのです。

(ローカルのビアレストラン)

電力不足で町全体は暗い中、一際ネオンが目立って輝く夜の町ヤンゴン。飲み屋には夜遅くまでローカルの若者たちが食事はあまりせずにビールをどんどん飲み干している姿が。

つられるように私もミャンマービールを飲み干していきます。ミャンマーといえばミャンマービールというくらい有名でスッキリ飲みやすいと日本人からも好評でした。このミャンマービールはクーデター後に軍関係の企業ということで店頭から姿を消すことになるのですが。日本のキリンビールもここに関わっているので今でも問題を問われています。

仏教国ミャンマー

この国を語る上で絶対にはずすことができないもの。それは仏教国であるということ。ミャンマーは多民族国家で他宗教の国ですが、多くを仏教徒が占めています。

町を歩けばどこにでもお坊さんとすぐに遭遇するし、お坊さんがそこら中にいるのがミャンマーだと考えてもらって間違いはないです。朝早くから托鉢に歩いて回るお坊さんの列があり、住民たちがご飯や寄付を準備して待っているのです。

そして、お坊さんがそこら中にいると言うことはそこら中にお寺もあります。少し歩けばお寺や僧院、仏教に関する施設が沢山。私も知り合いのミャンマー人に連れられて何度となくお寺に足を運び寄付をしました。

(シュエダゴンパゴダ)

きっかけはミャンマーベテラン日本人

元々なぜ私がミャンマーに来たかというと、当時ITの会社を経営していた私は主にはバンコクですが東南アジアに行ってはふらふらと海外でリモートワークなんかをしていたのです。

ちょうど仕事の拠点をバンコクに移そうと検討していたときにバンコクで大洪水があり、大変な状態になっていました。そんな折りにベテランのミャンマーで活動している日本人と知り合ったのです。

「一度ミャンマーに来てみないか?」

彼につられるようにミャンマー入りし、私は空港に降りたった瞬間からミャンマーの可能性に魅了され引き込まれるようにミャンマーに入り浸った。と言うのが最初のきっかけでした。

ミャンマーに入った当初はそのベテラン日本人と一緒に仕事をしながらミャンマーについて多くの知識と経験をインプットしていきました。知識を入れるというよりかはすべては自らの体験で学んだと言っても過言ではないです。とにかくエイサイティングな毎日で一日たりとも飽きることなくすごしていました。

(市場でのワンシーン)

ミャンマーに降りたった時から私は人生の大きな分かれ道で進む方向を決意していたのでした。

この話は一つの記事で書ききれないほど長いエピソードがあるので、しばらくおつきあいいただければ幸いです。

[第二話]ミャンマーの貧しい産業と豊富な資源へ続く

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