今回でミャンマークーデターの実体験記連載11回目。最終話となります。
お伝えしたいことは沢山あれど、分かりやすく内容をまとめて執筆してきました。最終話は私がクーデターを現地で体験して感じたことを綴ります。
こんなヤバい事態は人生初
記事執筆時点でミャンマークーデター発生からそろそろ10カ月がたとうとしています。クーデター以降生活基盤(国という)のベースが完全にぐらついています。
やはり経済的な不安要素は仕事をする上でものすごい足かせです。ミャンマーの通貨が廃貨になるかもしれないとか、銀行が破綻するかもしれないという噂の中、普通なら事業を推進することは難しいことです。
また、生活も貧困が増し、家がない、食べ物にも困るなどの苦しい世帯の割合が増えてきていて、国全体がますます困窮していきます。
国を動かそうとしている国軍は軍事費用ばかり捻出する有様で、国民のことを考えてる様子はうかがえません。
さらに残虐行為ときたもんですから、国民は黙ってられないでしょう。
もし日本でにたようなことが起こったら、どうなるでしょうか。似たようなことが起こる確率は極めて低いですがゼロパーセントではありません。
身を挺して戦うものも出てくるでしょう。
それくらい異常な状態に置かれるとだんだんと感覚も狂ってくるのです。
現地にいて起こる感覚の変化
まず、虐殺行為に対しての感覚が鈍くなります。初期の頃は心を炒め悲痛な思いをしたことが、それが常態化すると、感じる痛みが麻痺してくるのです。
これは非常に恐ろしいことで、国軍はそれを狙っているともいわれています。
「虐殺行為もしばらくすれば国民は忘れる」
こんな話を直接ミャンマー人からききました。末恐ろしい話です。しかし人間の感覚は慣れがあるので、実際のところ時間とともに風化してしまうことはあると思います。
人々の記憶から悲痛な感覚が失われていくことは本当に怖いことです。
この悪い状況に対する慣れにより、困窮している状態に慣れていくことも非常に危険なことだと思いました。人権侵害が常態化し、人としての命が軽んじられている日常生活をどう思いますか?
軍事独裁政権の常套手段
軍事独裁政権の常套手段ではありますが、武力を背景に人の権利をいつでも奪うことができるのです。
これがこの国のやり方だ!と内政不干渉の原則で国際社会に押し付けることは出来ても、人権がうるさくいわれるこのご時世に、そのやり方が長続きできるとは思いません。
しかし国民をそのような状態におくことで統制をはかろうとしている実態が見て取れるようにわかります。
もちろん広い世界の中にはミャンマー以外にも独裁政権は存在します。北朝鮮もそうです。しかし、独裁から一度は民主化したミャンマーにおいて国民は民主主義の自由を知ってしまいました。比較すれば軍事独裁と民主主義とどちらがよいと考えるかはいうまでもないことでしょう。
わかりやすくいうと軍事独裁政権は国民を人質にとった上で、国の利権を手に入れようとする独裁者の利己主義であるともいえます。
私も日本に住み続けていたらわからなかった、民主主義、そして軍事独裁政権、さらには社会主義、共産主義の本質についてもミャンマーのクーデターを経験する事で改めて学びました。
考えるだけで理解できるような簡単なものではなく体験してみてわかった非常に難しい問題です。
現在の日本も資本主義の危機?
国の経済体制について
今日本も資本主義の危機だという話を最近よく聞きます。資本主義を推進してきたことにより、おおきな格差が生まれ、資本主義競争に負けたものが貧困に陥る。
これは資本主義が生み出した負の結果であり、平等を求める貧困層は社会主義を望み左傾化し始めているという論理です。
気がついたのは国の経済体制に完璧はないということ
自由な競争を特徴とする資本主義も格差という問題を生み出します。かといって社会主義は自由競争を阻害し、国の発展が鈍化するともいわれます。
ただ軍事独裁政権は自由競争という理念以前の問題で、これからの時代を生き残っていけるかどうかは甚だ疑問であります。
インターネットがなければ長く存在できたかもしれませんが、インターネットによって世界の情報は容易く手に入り、独裁者に抑え込まれている現状に国民が気がつけば必ずや反乱が起こるでしょう。
反乱を抑え込むのは武力以外にはありません。
ミャンマーでクーデターを起こした国軍総司令官はクーデターを起こしたときの声明で国が落ち着けば民主主義に戻す。と断言しました。
すでに軍事独裁政権と民主主義は相反するものであり、彼の発言は矛盾だらけで、無理が生じているのです。結局は軍が生き残れる憲法の上で民主主義にするという以前のやり方を繰り返しているだけなのです。
私は大学時代、国際経済を専攻しましたがほぼサボってアルバイトばかりしていたので、何も身につきませんでした。しかし、こうして実体験をする事で身を持って国際経済について学ぶことになるとは何とも皮肉な話です。
クーデターを通じて人権について思うこと
そしてこのミャンマークーデターを通じて考えさせられた問題は人権問題です。
人の自由の権利以前に、生きるという最低限の権利までもが脅かされました。軍事政権に反対するものは、即刑務所、そして生きて返ってこれるかわからない状態に追いやられます。
また、抵抗するものも有無を言わさず射殺されます。抵抗するのが悪いという話もありますが、国家の危機だという口実に起こしたクーデターは国民にとってマイナスでしかありません。ずっとマイナスを押し付けられ抵抗するなという方が無理な話です。
不利益を被った上で国民は抗議することも許されず、反乱分子は根絶やしにするという国軍の考え方はすでに人権侵害を通り越し、人を虫けらのように扱う非道な行為なのです。
平和な国で生まれ育った日本人からしたらまず有り得ない極度な人権侵害でしょう。本当に社会が国全体がよくなるためにする我慢や痛みを伴う改革とは意味が全く違うのです。
人権の考え方やガイドラインは人の思想によって異なります。そして国際基準も曖昧な規定です。私の国はこうだ、と言ってしまえばそうなるからです。
人権は国の規定に縛られていることも学びました
日本人に生まれてよかった。という話を聞いたことがありますか?日本は完璧ではないにしても国際的に見ると人権が尊重されています。
本当に日本人に生まれて良かったと言いたいですが、それは日本国内で生活している限りの話なので一歩外に出るとその日本人の常識は通用しないのです。
これからミャンマーの
軍事政権はどうなるの?
これは私の考えですが、軍事政権は大きく転換するきっかけがなければ、しばらくは続くと思います。
例えば軍のトップが失脚するとか、暗殺されるとか、または軍内部での謀反が起こるなどのイベントが起こらない限りはすぐに終わることはないでしょう。
しかし、そのような国が転換するイベントが起こる可能性はいくらでもあります。いつ起こるかなどは分かりませんが、もし起こればまた民主主義に戻る可能性は大いにあります。
国民たちはしばらくは我慢が続くと思います。
先日もアセアンの会合に軍のトップを招かないという決議がなされました。国際社会はミャンマーのクーデターをよく思っていない国も多く、外部的な要因がきっかけで民主化に梶を切る可能性もあると思います。
しかし、こればかりは誰もわかりません。国民の有志が民主主義を取り戻すための戦略を練っているかもしれませんし、逆に軍が完全に国民を抑え込み、服従させるための作戦を練っているかもしれません。
時がくるまでその行く末は分からないのです。
国民たちは戦い続けています
えむさんはこれからどうするの?
この連載ストーリーの最後に私がこれからどうするのかについて書き、ストーリーの締めとしたいと思います。
10月に入りミャンマーのコロナも落ち着いてきました。刻々と状況は変わっています。
私は引き続きこの国をベースにし、活動を続けていきます。来年の7月にはこの国に来て10年になります。小さな力ですが、私にも経済活動を通じてこの国に貢献することもできますし、日本人として日本のことも海外からの視点で見守り、日本にも貢献できるように活動を続けていきます。
コロナが落ち着いたら、ミャンマーだけではなくまた、他の東南アジアの国々にも渡航し、幅を広げて行きたいと強く思っています。
クーデターを通じて私も大きくマインドが成長しました。この経験はほかではできない貴重な経験で、莫大なインプットされた財産をこれから少しずつアウトプットしていきたいと思っています。
noteに出会ったので、引き続き情報発信しながら、新たな仕事にもチャレンジし、自分自身の人生の楽しさももっと追求していく予定です。
まだまだこれからも情報発信をしていきますので、みなさま引き続きお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いいたします!
全十一話の連載ストーリーをお読みいただきましてありがとうございました。ぜひコメントもお寄せください。