South East Asia

[第六話]コロナがミャンマーにも直撃。そしてミャンマー総選挙。

[第六話]コロナがミャンマーにも直撃。そしてミャンマー総選挙。

[第五話]はこちら

この話は2021年にミャンマーで起こったクーデターを描くストーリー。第五話に続き私がミャンマーに来てからのこと、私が学んだこと。今回はミャンマーを襲ったコロナに関する記事です。

2020年1月
コロナCOVID-19発生のニュース

皆さんもご存知のコロナウィルスの大発生。2020年1月に私もニュースで知ったのです。ただこの時はまさかこんなに世界中を巻き込んだ大事件に発展するなんて思いもしませんでした。

みなさんも発生当初は同じ思いだった方も多いかと思います。しかし、事態は悪化の一途をたどりました。

2020年3月中頃まではひっきりなしにミャンマーに来客があり、私も休みなく働いていましたが、ついにミャンマーでもコロナ感染が確認され、あれよあれよという間にあちらこちらで患者が発生。

ロックダウンされる通り-Frontier Myanmar

3月終わりには「Stay Home」が発令され、コロナ感染者が発生した地区ではロックダウン。建物は封鎖され、その通りも住民以外は立ち入り不可の措置がとられました。

ミャンマー政府の対応は比較的早かったといえます。しかし、政府の外出自粛の通達により賑やかだったヤンゴンの町からは人が消えたのです。

ヤンゴン中心スーレー-Frontier Myanmar

航空機離発着禁止

これまで勢いよくミャンマーを訪れるために入国してきていた外国人も2020年4月を境に、全面離発着禁止措置がとられ、入国することが難しくなりました。特別に許可された臨時便のみが着陸を許され通常の定期便はことごとくキャンセルとなりました。

ヤンゴン国際空港

私の仕事もこれにより大きな打撃を受けました。日本に人材を派遣する仕事は航空機離発着の制限により、派遣が出来なくなったからです。

また、人材の採用もこれまでは日本からはるばるミャンマーまで面接に来ていた企業の関係者は渡航ができなくなりました。ぱったりと人が来なくなってしまったのでした。

毎日鬼のように忙しくしていたミャンマーでの生活が航空機離発着禁止の影響を受け、すべてが止まってしまいました。

これは一大事だ。しかしどうすることもできない。

もちろん運営する学校も休校に

外出禁止のお達しがでた後、一般の会社員たちも会社には出社せず自宅待機。街中のレストランもすべて営業停止。

これにより私が運営していた日本語学校も休校。

一瞬にして国全体の活動ががあっという間に止まりました。テレビではコマーシャルでずっと手を洗いましょう。マスクをしましょうと洗脳するようにひっきりなしに流れてきます。

スーチーさんも自らが手を洗っている映像を流し感染防止を呼びかけていました。

https://youtube.com/watch?v=_Y-P_t4p5NQ%3Frel%3D0

ミャンマーでのStay Home(外出自粛)は結構厳しく夜間に出歩き、もし捕まるとすぐに刑務所行きの措置などがあり、夜8時以降は野犬しかいない状態。人っ子一人道にはいない状態になりました。

一、二ヶ月もすれば落ち着いてまた仕事もできるようになるだろうとその頃は我慢しよう、くらいに考えてましたが、今思えばそんな生やさしいものではなかったと思い知らされます。

そして、いつ収束するかの見通しも立たず、学校の再開のめども立たず、ただ時間だけが過ぎていったのです。

2020年9月から感染が爆発的に拡大

昨年9月より小康状態であった感染が急激に増え始めました。私はほとんど外出をせず、近所に食料を買いにに行く程度の毎日。一度買い物に行くと、沢山買いだめするので、毎日出かける必要もなくなっていました。

この頃noteに出会っていたら、もう少し有効な時間の使い方が出来ていたのにと、今更ながら思いますが、自宅ではテレビをみたりパソコンで少し仕事をしたり、ゲームをやってみたりとあまり意味のない時間が過ぎていきます。

感染症という目に見えない敵に対して誰も太刀打ちできない無力感がありました。

どのくらいの感染者が実際にいたのかは知る由もありませんが、2020年9月から11月頃まで毎日1000人前後の感染者が報告されていました。

そんなコロナ感染拡大の渦中ですが、ミャンマーの歴史に残る歴史的なイベントが実施されたのです。

2020年ミャンマー総選挙実施

2020年11月8日、ミャンマー全土で総選挙がおこなわれました。

2020年ミャンマー総選挙は、2020年11月8日に行われたミャンマー連邦共和国の立法府である連邦議会の総選挙である。結果、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟が圧勝した

そうです。この総選挙でスーチーさん率いる党であるNLDが圧賞したのです。国民は大喜び。結果が分かった夜には街に多くの人が繰り出しNLDの勝利を祝っていました。

私もその祝賀モードを一目見ようと車で繰り出したのですが、その時の写真がこちらです。

2020年のミャンマー総選挙後に勝利を祝う国民たち
2020年のミャンマー総選挙後に勝利を祝う国民たち
2020年のミャンマー総選挙後に勝利を祝う国民たち

国民たちは喜びの熱が冷めやらず、NLDの党の歌をそこら中で熱唱。コロナ渦中であるにも関わらず、その日だけは深夜まで至る所で祝賀が祭りのごとく開催されました。この日は深夜外出禁止も見逃されました。

そして、この選挙結果が後に2021年のクーデターに繋がっていくとは誰もが予想することができなかったのです。

2020年の年末にはコロナが収まりを見せ落ち着いてきました。

そして、街にも人が戻り始めました。2020年の年明けのHappy New Yearの時は2021年こそはコロナを撃退し、よい年にしよう!とみんなが期待に胸を膨らませ新年を祝ったのです。

ようやく自由になれる。元の生活に戻れる…. 

日本の入国制限の一時的な緩和

日本も2020年10月以降、感染拡大が落ち着き、実習生の渡航は「レジデンストラック」という入国措置の緩和により認められ、ミャンマーからの人材派遣が一時的に緩和されたので足止めをされていた若者たちを送り出すことができました。

しかし喜びもつかの間で終わります。

次のコロナの波が日本に押し寄せ、年明け早々、一瞬開いた入国の扉がまた閉められるという決定がなされます。

喜びは一瞬で次の暗いトンネルにさしかかりました。

感染症の蔓延の前にはどうしようもない。またしばらく我慢するしかないな…. 

そしてみなががっかりし、落胆したところでミャンマーで誰もが驚く衝撃の事件が起こったのです。

2021年2月1日未明。
ミャンマー国軍による軍事クーデターが発生

衝撃的なニュースがミャンマーだけではなく全世界を駆けめぐりました。

[第七話]軍事クーデター発生!そして国民たちは一斉に動いた。

Related Posts
Leave a Reply

Your email address will not be published.Required fields are marked *