South East Asia

[第七話]突然のミャンマー軍事クーデターに直面した瞬間。

[第七話]突然のミャンマー軍事クーデターに直面した瞬間。

[第六話]はこちら

この話は2021年にミャンマーで起こったクーデターを描くストーリー。今回第七話より、クーデターの記事。そして、現地でクーデターを直接体験したこと。

まずはじめにミャンマーで起こった真実。
私が自ら編集をした動画をご覧ください

言論統制により封印していた動画を限定公開します
※途中過激な映像もあるために心臓の悪い方は閲覧にご注意ください。

この動画は全てが今年起こった真実です。

忘れもしない2021年2月1日

朝目が覚めると、妻が慌てて私に話しかけてくる。まだ眠たい目を擦りながら、話を聞くと、

スーチーさんが捕まった
大統領も一緒に捕まっちゃった

急な話で何が起こったのかすぐに理解できない。
よくよく聞いてみると、

いきなり軍がスーチーさんの自宅、ウィンミン大統領の自宅を始め、昨年の選挙で大勝したNLD 幹部の自宅を襲撃し、拘束。連れ去ったとのこと。

なんなんだ?!何が起こったんだ?!

寝耳に水の話で事の深刻さがすぐに理解できない。そうこうしてるうちに、ニュースやらSNSやらで一斉にミャンマー国軍がクーデターを起こしミャンマーの全権を掌握した!とトップニュースで大騒ぎになってるではないか… 

2月1日のニュース[日本経済新聞]
ミャンマーでクーデター 国軍が全権掌握

ミャンマーでクーデター 国軍が全権掌握(写真=ロイター)【ヤンゴン=新田裕一】ミャンマー国軍は1日、クーデターを実行した。国軍系テレビは1年間の「非常事態宣言」が発令されたと伝えwww.nikkei.com

一夜にして民主主義が軍事独裁政権に

まさに一夜にして民主主義で急成長中のミャンマーは軍事独裁政権へと変わってしまったのです。

これは相当やばいことだな….と感じ慌てて、車に乗り仕事場の事務所にむかいます。車で走ってても特に普段と何も変わらない街の様子。

しかし、車のドライバー達はやけにクラクションを鳴らしています。クラクションを鳴らし、軍に抗議をしているのでした。

ものすごいクラクションの音… 

スタッフ達も事務所に来ており、今後どんな展開になるか話し合います。ひとりのスタッフは過去の軍事政権を長く知っており、また暗黒の過去に戻ってしまったと神妙に語りました。

過去何があったのか… 

時代はさかのぼること1988年

1988年3月から9月まで、ビルマ(ミャンマー)全土で大規模な民主化デモが起き、陸軍や治安部隊の弾圧で数千人が死亡した。

当時も軍の独裁政権にしびれを切らした国民たちが民主化のために決起し、それを抑えるために国軍は大規模な弾圧を行ったのです。大勢の死者が出ました。

1988年の大規模デモ活動の様子

歴史的な説明は長くなりすぎるので割愛しますが、本記事の最後にミャンマークーデターがなぜ起こったのかなどの解説リンクを貼り付けておきます。
お時間のあるときにご覧ください。

街頭にものすごい数の国民が
繰り出し叫びを上げ始めた

前回の記事で書いた2020年のミャンマー総選挙の結果に不服を持ち、選挙違反があったとして、国軍はスーチーさんはじめNLD幹部を拘束連行したのでした。

このクーデターが起きてから数日はあまり街の様子などは変わり映えしませんでしたが、ちょうど一週間が立つか立たないかの頃、国民たちは動き出しました。

多くの国民が街に出て、声高々と軍政反対!民主化を取り戻せ!スーチーさんを解放せよ!と叫び始めたのです。その勢いは凄まじく、国民総出で声をあげ街頭に繰り出しました。

クーデター直後はまだ警察や軍の前でデモができたのです。警察はその様子を見守る形でした。

なぜクーデターが起こったの?
諸説ありますが国民が支持した民主政権に軍の立場(利権)が危うくなるからとクーデターを起こしたともいわれています。

クーデターが起きてから初めての犠牲者

彼女はデモに参加し2月9日に銃で撃たれ亡くなりました。

初めての犠牲者がでて以来、軍の弾圧は過激化し、犠牲者が増え始めます。

各地で、デモに参加する人が銃でうたれたり、殴打される弾圧行為が激しくなっていきます。

(殴打される市民)

家からでられない日々
ネットでニュースを追う日々

この間、もちろん外には出かけられません。クーデターが起こって以来一週間だけ仕事をしましたが、それ以降は長期休暇で、仕事も完全にストップしました。

毎日毎日ネット経由でデモ活動の動画や、犠牲になった人々の映像がひっきりなしに入ってきます。

それを眺めながら、できることはないのかを考えネットから流れてくる映像やニュースを日本向けに配信したり、動画を編集したりと、できる限りのことをやるしかなかったのです。

外国人である私は無力でした。

そんな中、インターネットもモバイルネットワークは制限がかけられ、遮断されたり、SNSは閲覧できなくなったりと、言論統制も強化されました。

軍は徹底して国民の反発を抑え込もうとしたのです。

「22222」春の革命

弾圧が激しくなる中、2021年2月22日。
2が五つ並ぶ日に国民は決起を呼びかけ、最大のゼネラルストライキを計画。迎えた当日、ミャンマー全国で国民が立ち上がり、100万人とも500万人とも言われていますが、数えることができない数の人々が一斉にストライキに参加したのです。

その様子を写真でご覧ください。

写真を見ていただくだけで説明するまでもありません。こんなにも多くの人々がストライキに参加したのです。掲載したのは一部で数が多過ぎて掲載しきれません。

国民からお坊さんまでが街頭に出て行進をしたり集まって叫びました。

「We need democracy 」

これだけ多くの人々が軍に対して反対の声を上げるということは国民の民意は間違いなく民主主義を取り戻すことでした。

その様子を見ていて、私は身震いしました。今自分がいる国でちょっと外にでればこんな風景が広がっているのです。絶対に普通の状態なわけあがりません。

「22222」春の革命はさすがに参加者数が多すぎて弾圧を控えたのか国際世論を気にしたのかは定かではありませんが、死傷者なく一日を終えたと記憶しています。

その後弾圧はさらに激化

弾圧は続きます。国民たちは主要道路や小道に軍の車両が侵入するのを防ぐために、あらゆるところにバリケードを構築しました。

さらには1988年と違いインターネットでの国民の戦いが始まったのです。「キーボードファイター」と呼ばれるネット市民たち。

次回に続きます。
[第八話]あらゆる手段で対抗する国民たちの戦い
ネットでの情報戦。

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