僕が一番ほしかったもの
槇原敬之の有名な歌です。「僕が一番ほしかったもの」ご存じの方も多いかと思います。この歌めっちゃいいんです。曲調もすごく良いのですが、歌詞が最高によいのです。
この歌がリリースされたのは2004年なのでもう15年も前の曲ですが、これはいつになっても、おじいちゃんおばあちゃんになっても聴きたい曲なのです。
▼歌詞の内容
ある時僕がほしいものを人も欲しがっていて、それを持っていた僕はあげるのがちょっと惜しいんだけど、あげることにした。そしたらもらった人はとても喜んでくれた。
そしてまたあるとき同じ様に僕がほしいものを人がほしがっている。やっぱり惜しいけど、あげることにした。そしたら僕以上に喜んでくれた。
これを繰り返しているうちに僕は気がついた。
本当に僕がほしいものは僕があげたものの代わりにみんながくれた笑顔だった。
本当にいい歌です。
もしもこの曲の中の僕が欲しいものを
惜しんであげてなかったら。
歌の中では僕が欲しいものをあげたから、あげた人たちからたくさんの笑顔をもらったわけですが、もし誰にも欲しいものをあげてなかったら、私は誰からも笑顔をもらえなかった。となっていたかもしれません。
この曲はとてもわかりやすく、何か人のためになることをすれば自然と自分に返ってくる。と言うことを歌っています。
損得勘定で考えると、自分がほしいものは人にあげたくない。勿体ないと考えますが、よくあるビジネス書でも習慣本でも、人にたくさん喜びを与えるとそれが周り回って返ってくると書いてあります。
もっと欲しいもっと愛されたい
でもなかなかもらえない
もっと愛されたい。そんな風に思うことありますよね?でも相手から愛をもらえない。それもよくある話です。人はほしいモノがたくさんあります。でも思うように手に入れられない。愛以外でもほしいモノはたくさんあります。でもなかなか手に入らない。
そして私もほしいモノはたくさんあります。皆さんがわかりやすいようにnoteネタで話すと、例えばnoteでたくさんの人に記事を読んでもらいたいとか、スキを沢山もらいたいとか。できればコメントなんかももっとほしいとかそんなほしいモノがあります。
さらには例えば仕事においてはもっと評価されたい。もっと給料がほしいとか。皆さんの身近にもたくさんの欲しいが転がっています。
たくさんもらいたい。人は欲張りな生き物である。
でもほしいと思っていてもなかなか手に入らないんです。それはもらうことだけを考えているとなかなか手に入らないようです。そうです。何かをあげることによって、ほしいモノが手に入りやすくなるというのです。
愛も相手からもらいたいばかりではなかなかもらえず、自分があげてこそ手に入るものかもしれません。
欲しくても手に入らないものもある
どんなに望んだとしても手に入らないものもあります。それはほしいものが今の自分にまだふさわしくない可能性が高いです。
ここでサラリーマンの給料の話をしましょう。給料1000万欲しいという望みがあるとして、でも300万しかもらえない現状。それはあなたの現在のステータスや能力値に応じたものだと思われるのでいきなり1000万円もらうことは難しそうですね。
ただ絶対無理だとは思いません。会社に対して1000万円の価値があるという評価をもらえる能力を身につければ良いのです。
現在はもらえてないだけ
そうはいっても会社は評価してくれないんだけど…
そんな場合は、別の会社に転職してしまいましょう。転職しても1000万円もらえない場合は、やはりまだ能力が見合っていないと考えて良さそうです。
能力が見合わないと言うことはあなたが給料の対価として会社に対して捧げている力が足りないということです。ここでいう力は労働時間のことではありません。あなたの能力×労働時間がそれに該当します。つまりは時間は働いていたとしても能力が足りていないと言うことになります。
自分からあげると言うのは意外と難しい
何かを自分からあげることで、ほしいモノが手に入りやすいと言うことは分かってきました。しかし、この自分からあげると言うアクションは言うほど簡単ではないようです。
なぜならあげてから返ってこなければ損をするかもしれないという『損得勘定』にすぐに結びつけてしまうのが人間の持つ癖だからです。
そして、自分から思い切ってあげたとしても実際に返ってこないことも多々あります。
あげなければ返ってこない。あげたとしても返ってくるかは分からない。あなたはどうしたらよいと思いますか?
多くの偉人は言いました
見返りを求めてはいけません
結局はこれにつきると言います。見返りを求めると邪念があなたを支配します。もしも返ってこなかったとき、あなたがあげた好意の気持ちは恨みに変わってしまうのです。
あげるものを沢山持っていたり、別に費用がそんなにかからないものなのであれば、見返りなど気にせず持っているだけあげた方が良いのです。
この話は売買に置き換えると
不確定要素はなく等価交換される。
売買においてモノの値段が高いとか安いとかを気にする必要はないといいます。ちゃんとよいものであれば高くても良いのです。高いお金を払えばそれなりの品質のものが買える。そして、高い商品を作ってもモノが相応に良質であれば高いお金を払ってもらえる。
と言うことになります。ちゃんと商売でもお金を払えば相応のものが手に入るようになっていますのでわざわざ見返りを求めたりする必要はありません。ちゃんと物が貰えます。
商売はお金を払えば相応のものがもらえる
等価交換されるのです
人の感情は強制できない
物の売買と違って、人の感情は強制することはできません。あなたが愛をたっぷりあげたとしても同じだけ返ってくるかはわかりませんし、こちらから記事にスキをたくさんつけたとしてもスキが返ってくるかどうかの確証はありません。
しかし、あなたから愛をあげれば、それは何もあげないよりかは返ってくる可能性が高まります。noteのスキも同じです。あげれば返ってくるかもしれない。
しかし見返りだけは求めないことをお勧めします。
あなたの愛が憎悪に変わらぬように….
さあ、ここまでお読みいただきましてありがとうございます。あげることに対して悩んでいるあなた。この記事を読んで少しでも見返りを気にせずに「あげられる人になる」ことができたら私も記事を書いた甲斐があります。多くの人にこの記事が届きますように。